歴史、戦争、クラウゼヴィッツ(Geschichte, Krieg, Clausewitz)

研究(歴史学、軍事史、クラウゼヴィッツ)のこと、大学近郊(地域、まちづくりなど)のことを中心に更新していきます。

オルタナティブとしてのドイツ

ドイツに関心をもっていると、日本との共通性と相違がはっきり見えてくるように思います。これはもちろんアメリカやイギリス、フランス、そのほかの国々に関心を持っている人にも言えると思いますが、日本の日常生活で当たり前のものと思われていることが、かなり特殊であることに気が付きます。たとえば、日本の大体の街には24時間営業のお店があり、自動販売機が数えきれないほど町のなかにあり、安全・便利ではあるけれど、そうした店舗を維持するためのアルバイト・パートという労働形態しか地域には残っていない社会が本当に望ましいのかといえば、そうとは言えないでしょう。こうした社会の在り方は必ずしも日本のものではなく、アメリカに影響を受けたものでもありますが、こうした社会の問題点は特にドイツとの対比のなかでははっきりと見えてきます。

大衆社会批判の主張が19世紀以来強く存在しているのが、ヨーロッパですし、とくにドイツなわけで、ドイツ人の生活スタイルには、時折はっきりと消費主義への抵抗が垣間見られるように思います。かつては日本にも強く存在していた、古いものへの憧憬、ヨーロッパにおいて広くみられるシンプルな合理性などは、日本のドイツ研究者においても着目されてきました。『清貧の思想』で知られた独文学者、中野孝次はマックス・フリッシュの『ホモ・ファーベル(邦題:アテネに死す)』の訳者でしたが、本書も近代的=技術的=機械的なお工作人(ホモ・ファーベル)に対して、人間性の不確定性を描き出したヒューマニストでした。おそらく彼ののちの創作活動ともこの翻訳はかかわっていたのではないでしょうか。

とてもおもしろいのは、最近ミニマリストとかシンプルライフといった考え方のなかに、消費主義の反動としてこの『清貧の思想』に近い考え方が出てきていることです。これらのほとんどには思想性がなく、あくまでライフスタイルのスタイルのみの提案に限定されていることは特徴的ですが、これを一種の消費主義への対抗運動の一つとしてみなすのか、一時的な流行なのかにはかなり関心があります。

ところで、ドイツには日本と同じようにグローバルに強烈に対応していく文化もあります。国際的なドイツ企業は多いですし、日本と比較してもドイツのグローバル化対応は全く引けを取りません。それどころか、ヨーロッパ連合内の主導的な地位を維持しつつ、経済発展著しい中国とも友好的な関係をたもち、加えてアメリカにも積極的な結びつきを維持してきたドイツは、こと経済において強力な日本のライバルです。ドイツ国内の思想的背景のなかで、この消費主義やグローバル化への反抗が表面化していくのは、これも特殊ドイツ的な流れではなく、国際的な流れの中に共通していえることなのかもしれません。いずれにせよ、ドイツではグローバル化への対応を積極的に行う一方で、こうしたアングロサクソンからやってきた価値観に対する批判的な目が社会のなかで強く存在しているのは面白いことです。